「諦めよう。」
あなたは、今までの人生の中でそう思ったこと、何度ありますか?
私は数えていないけど
多分、小さなことを含めれば結構あります笑)
さらに、諦めたことを後悔したくないから足掻いたのに、足掻いたこと自体に後悔するという、負のループに陥ることも笑)
でも実は、諦めるの本当に意味を知れば、足掻く必要も後悔することもなくなります。
諦めるの語源
実は諦めるの語源は、
「明らかにすること。」
仏教では「諦観(ていかん)」。
諦観ってあまり使わない日本語ですよね。
「諦観(たい(てい)かん)」、「諦聴(たい(てい)ちょう)」といった熟語の「つまびらかにみる、聞く」にみられるように、「つまびらかにする」「明らかにする」が、本来の意味である。そして、漢語の「諦」は、梵語のsatya(サトヤ)への訳語であって、真理、道理を意味する。
索引:https://www.otani.ac.jp/yomu_page/
b_yougo/nab3mq0000000qkz.html
諦観の文字をもうちょっと見てみると、
諦めるの「諦」に観察の「観」。
そして、「諦」には、「まこと。真理。」、という意味もあるんですよね。
今ある現状をじっくり観察して、
なぜ今自分の置かれている状況が自分の望みではないのはなぜかと言う原因を探り、それから、断念する。
このプロセスをじっくり踏むと、のちの後悔がなくなります。
後悔をなくすプロセス
もしあなたが、今ある現状が望んだものでなかった場合、そこには必ず原因があります。
因果応報という言葉がありますが、この「因果」には「原因と結果」が必ずあるよ。という意味があります。
原因と結果には深いつながりがある、ということです。
因果応報:
人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。▽もと仏教語。行為の善悪に応じて、その報いがあること。
索引:goo辞書
だからもしあなたが、今の現状に満足していなかったり、
居心地が悪かったりする人間関係に悩んでいたり、
何かしらの不満があるのであれば、
必ずそこには原因があります。
後悔をなくすには、まずその原因をじっくり見極め明らかにしたうえで、諦める、という思考のプロセスが必要になってきます。
明らかにせず、諦めるとどうなるか
後悔します。
後で、ちょっとしたトラブルに出会った時に、
自分は悪くないのに、あの時〇〇さんが、こうしてさえしてくれていたら、今よりは良かったはずだ。
こんな社会が悪い。
相手が悪い。
と、平気で考えてしまうのが人間です(笑)
その思考のプロセスは、単純に「あきらめる」ことで思考を停止させ、見なかったことにしてしまったのが原因です。
先に前述した、思考のプロセス「明らかにして納得して諦めるプロセス」を踏むと、そういった無駄な思考を起こさなくなります。
要は、愚痴がなくなるってことです(笑)
まとめ
如何でしたでしょうか。
本日のブログを書いていて、愚痴が多い私は、心が痛い(笑)
まぁでもそんな悟りを開いている人間なんて、そうそういませんから。
「だって、人間だもの。by相田みつお」
では、今日も良い一日を!
Have a good day!
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